
「藻類とは何か」と問われれば、いろんな答えができるでしょうが、「藻類とは、光合成の過程で酸素を放出する生物の中からコケ植物と維管束植物を除いた残りである」などと専門家でないと理解できないような難しい表現をする先生もいます。一般的には、「藻類とは、水中で光合成を行って生活する体制の簡単な生物である」と言えば、かなり理解しやすいのですが、車軸藻や大型褐藻のように体制が比較的複雑な植物も藻類の仲間です。また、藻類の大部分は水中で生活する植物ですが、水中で生活するものばかりではありません。樹皮・壁・岩石などの表面に着生して黄緑色~緑色~赤褐色を呈する微細藻は日常よく見かけることがあります。雪の中や積雪の表面近くで雪が赤~緑に色づいたように見える微細藻(赤雪、緑雪などと呼ばれる)は昔からよく知られています。湖や海で張り詰めた氷の下面に閉じ込められたような形で生活している藻類(ice algae)もあります。他の生物の細胞内で生活している微細藻(代表的なものはサンゴやシャコガイに共生する褐虫藻“ゾーキサンテラ”)もあります。クジラや他の水生生物の体表に付着して生活している藻類もあります。土壌中にもいろんな微細藻がいることはよく知られています。乾燥した地表面にほとんど干からびたような状態でおり、雨が降った後に水を吸って活発になる藻類もあります。また、大気中に浮遊している微細藻もあります。真っ暗な洞窟などで観光のために電気がひかれて照明されると、電灯近くの少し湿った壁がやがて緑色になってくることがよくありますが、これは空気中に漂っていた微細藻が着生して繁殖した結果です。

図1 髪菜(市販品)
中国料理に昔から使われてきた食材で日本人にもよく知られている
この髪菜はどこに生えているのでしょうか。日本で発行された書物には「中国四川省の渓流中に生ずる」(殖田三郎ほか1963「水産植物学」)とか、「淡水産の藻類の一種」であり「苔類に属し、ミズゴケの一種であって渓間中に生ずる」(田中静一編著1991「中国食物事典」)などと書かれおり、淡水藻として扱われていましたが、これは明らかな間違いです。恐らく生育現地のことはまったく知らずに商品としての髪菜だけを見て、あるいは本当の生育状態を知らない人の話をうのみにして、このような記述になったものと思われます。実際には、髪菜は内陸の山の上の荒れた土地の表面上に乾燥した状態で生育しています。今から100年以上も前にすでに遠藤吉三郎(1912)や岡村金太郎(1913)のような藻類学の大先生によって髪菜は注目されていたにも拘らず、1990年代初めまで日本人で髪菜が生育している現場を見た者は一人もいなかったようです。
1960年代末に初めて髪菜について話を聞いた私は、何とかして中国の生育地を訪れて現地で生育状態を自分の眼で見たいと思っていました。1985‐86年に東京水産大学の訪問研究員として日本に滞在していた中国水産科学研究院の李竹青さんに髪菜の話をしたところ、自分も髪菜の生育現場をまだ見たことがないので帰国したら調べて一緒に見に行きましょうと約束してくれたのでした。1989年に髪菜の生育地を見るための訪中招請状をいただきましたが、残念ながらその時は都合がつかず見送りになってしまいました。1991年に李さんから再度招請状が届き、7月12日から9日間の訪中が実現しました。しかし、当初は「髪菜は山の上の木の根元に生えている」らしいというようなあいまいな情報で、水がないような山の上でどうやって生活しているのだろうかと依然としてすっきりしない状態でした。また、初めは李さんが通訳を兼ねて同行してくれる予定でしたが、直前に急に同行出来なくなり残念でした。
7月13日に北京を発って特急列車で24時間半、翌14日11時30分に寧夏回族自治区の銀川に到着しました。北京まで迎えに来てくれた寧夏農学院の王俊さんと一緒の旅でしたが、さすがに長い旅でした。銀川駅には寧夏農業庁の王秩宗副庁長を始め寧夏農学院の楊先生(蘇煥蘭院長の夫人、気象学が専門、寧夏滞在中ずっとつきっきりで通訳と世話をしてくれた)ほか関係者が出迎えてくれました。銀川で一番のホテルという寧夏賓館に入り、日程等の打合せを行いました。翌日には早速髪菜生育地を見に行くというので、足ごしらえ(長靴?)などどうすればよいか質問すると、運動靴で十分だと笑われ、まだ水(山の上に湿地帯?)のことが心配なまま一夜を過すことになりました。また、髪菜が生えているところへは入域のための特別許可を必要とするとのことで、パスポートを預けて特別許可のための手続きをしてもらいました。
7月15日早朝ホテルをマイクロバスで出発し、途中寧夏農学院生物系副主任の華振基先生を中心とする髪菜研究グループの人達と合流し、約2時間走って銀川南方にある青銅峡市に入り、同市農業庁を表敬訪問した後、髪菜の生育地である山の方に向かいました。最初にバスから降ろされたのは广武というところで、水気が全く無い荒原(半乾燥荒原あるいは半乾燥草原)で海抜1,270 mの山の上でした。乾燥しきった土地には中国名で草覇王というハマビシ科の小さな植物やその他の乾生植物がまばらに生えているだけで(図2)、ここに藍藻の髪菜が生育しているとはとても思われませんでした。長靴の心配などして笑われたことだけは直ぐ理解できました。まばらに生えた小植物の根元や直径4~5 cmの石ころの近く(いずれも裸地表面)に、ここにあると指差された土の上を眼を凝らしてよく見ると、乾燥状態の髪菜がまさに髪の毛のように小さな塊をなしているのでした(図3)。少し離れた2か所をさらに案内してもらいましたが、頂上が海抜1,500 mの山の中腹(海抜1,350 m)などで、最初の場所と殆んど同じ状況でした。海抜1,100~1,500 mで年間降水量300 mm以下(6~8月に集中)の所に髪菜の分布は限られているとのことでした。


(寧夏回族自治区青銅峡广武)
7月18日には、銀川から北方にやはりマイクロバスで長時間走り、賀蘭山小口子の乾沟と西夏王墓近くの山の2か所を案内してもらいました。いずれも15日に見た青銅峡の生育現場と殆んど変りない環境のところでした。中国では、髪菜は陝西、寧夏、甘粛、内蒙古、青海の西北5省に分布しています。